内定者の人生を変えた、元プロサッカー選手の飽くなき挑戦と約束

内定者の人生を変えた、元プロサッカー選手の飽くなき挑戦と約束

内定者インタビュー~Special Edition~

今年も残すところ2ヶ月を切り、来季に向けて新たな取り組みや、次のステップに移る準備を着々と進めている我々バイセルテクノロジーズ。約1年に渡り新卒採用を精力的に取り組んできた人事部では、既存社員と新卒メンバーとの交流を図るため、様々なイベントを企画し活動を続けている。

世間では「19新卒」と呼ばれる彼らだが、2019年4月の入社数はバイセル始まって以来最大規模の入社数を見込んでおりその新たな原動力となることは間違いない。一人一人を紹介をここでご紹介したいほどの思いでブログを掲載している。

彼らを知り、彼らと一番近い距離でコミュニケーションをとる中で、今回是非ともご紹介したい方に出会った。

内定者の一人、関西福祉大学サッカー部に所属する内田将也(うちだまさや)さん。その内田さんを育てた、関西福祉大学サッカー部監督_中田洋平さんだ。

内定者の内田さんは高校では県大会ベスト4に進み、その後関西福祉大学へ進学。サッカー部へ入部し4年間汗を流してきた。

面接時にとても印象的だったのは、育ての親である大学サッカー部の監督エピソードだ。

【大学サッカー界の若きカリスマ監督】

「今の自分があるのは中田監督のおかげです。監督のおかげで人生が変わりました。」

来年4月にRU事業部に新卒として入社する関西福祉大学サッカー部所属の内田さんが面談時にしきりに言っていた言葉だ。この言葉をきっかけに、内田さんを育てた監督にとても興味を抱いた。それは、バイセルで活躍してくれるであろう将来の人材を、いかに育てたのか、どのような指導者なのか、これからの我々にとってもさらに飛躍となるヒントが隠されているかもしれない。そんな予感を感じたからだ。

先に述べるが今回、中田監督から今後当社に優先的に学生を紹介して頂けることになったこともこの記事の掲載のきっかけつなるご縁だった。その御礼とご挨拶を兼ねて兵庫県赤穂市にある関西福祉大学サッカー部、中田監督を訪ねた。

中田監督は企業経営で例えるなら若きカリスマ社長と言えるだろう。

今回は関西福祉大学サッカー部_中田監督を新卒インタビュー番外編として紹介したい。

【挑戦】

「企業で例えるなら、事業部閉鎖間際の状況だと思いました。」

中田監督は3年前を振り返る。

「サッカー部は元々あったのですが、1年生が十数人で活動するサークル活動状態でした。

当然結果が出るわけでもなく、関西学生リーグ※の最下位に位置付けられている3部所属で。」

※関西学生リーグは上から1部、2部A、2部B、3部と4部制が引かれている。

「そんな中、サッカー部を強化部活動としたいと大学側の意向があり、その初代監督として声がかかったのが、このチームを率いることになったきっかけです」

※当時大学側も本腰を入れ、なんと大学校舎のど真ん中に芝生のサッカーグランドを新設したのだ。

中田監督は元Jリーガーの選手。選手引退後は所属チームのフロントスタッフとして、営業、選手マネジメント、バックオフィス業務と幅広くチーム運営に関わった経歴の持ち主。選手の気持ちも理解できるし、組織運営もできるマルチプレイヤーだ。

中田監督はこうも言った。

「もう二度と当時には戻りたくないですね。(笑)」

「強化部活に指定」と言っても無名大学が故、そもそも部員が集まらない。

前例のない極めて厳しい状況だった。

中田監督がまず力を入れたのが、人材採用。つまり人材スカウト活動だ。

監督は全国の高校サッカー部を定期的に訪問し続けた。だが無名大学、部としてはリスタート、大学サッカーの実績も一切ない。ポジティブな要素がないので当然相手にされなかったようだ。

だが持ち前のバイタリティ精神を活かし、諦めることなく継続的に足を運んだ。来る日も来る日も。

そんな中田監督の誠意が伝わったのか、メイン選手ではないものの、徐々に大学でもサッカーを継続したい熱意がある学生の紹介を受けた。内定者の内田さんもその一人。

彼は熊本県でスカウトした人材だ。

初年度は結果的に30名程度のスカウトに成功。ようやくスタートが切れる体制が整った。

【あきらめない背中】

だが現実は甘くなかった。

チームワークが取れない。部活を退部するメンバーもでる。練習に身が入らない。

サッカーはチームプレイ。人はいるがチームとしては全く機能しなかったのだ。

新たにできた歴史の浅いチームでは、部員全員が同じ理念を持つ文化が確立されておらず、歴史の必要性と同時に、理念の浸透がいかに大事か気が付くきっかけとなったのだ。

中田監督は諦めなかった。

プライベートの時間を削り、誰よりも多く選手とのコミュニケーションを図った。

また、全ての部員に共通価値観として、基本理念を打ち出し、日々口に出した。

まさに、あきらめないことを自らの背中で示し続けたのだ。

それだけでなく新たに情報を仕入れるために精力的に外部への活動も行った。

大学サッカーの名門といわれるチームとコミュニケーションを図れる機会を積極的に作り、技術改革にも取り組んでいった。

そうした中田監督の想いが選手に通じたのか、チームは徐々にまとまりだした。

その変化の表われは理念を理念だけにするのでなく、選手達が行動に変え始めたことでさらにまとまりを強くしていった。問題が起こったとしても、チーム全員が「原因追求、再発防止」に能動的に取り組んでいったのだ。

※サッカー人の前に、まず一人の人間として。そんな中田監督の思いが募った理念。何かに迷ったとき、部員はこの3つの理念をもとに判断しているそうだ。

【飛躍】

就任してから3年たった現在。関西福祉大学サッカー部は大きな飛躍を遂げた。

関西学生リーグ3部から2部Aに2段階昇格。そして今年は1部昇格目前のようだ。

部員数今では90名を超え、来年4月には110名になる。

念の為お伝えするが、この成長は異例なことだ。

そもそも大学サッカーというのは強いチームに強い選手が集まり、その強さが継続されるのが一般的。

関西福祉大学のようにそもそも部活として成立が困難な状況から、たった3年で110名の組織へ。成績も3部から今年は1部昇格目前という実績。

これは異次元の成長と言える。

選手との絆】

中田監督は今でも選手とのコミュニケーションを大切している。

こんな言葉をもらった。

「ここまで大きな組織になったので、1軍、2軍、3軍と階層に分けています。世の中的には監督が1軍メイン、2軍、3軍には専属コーチ設けるかもしれません。

ただ私は今でも全てのチームを担当し、平等に選手を見ています。選手1人1人を見て、活躍の機会を与えてあげたい。何より選手自身も”監督に見られている”というだけでモチベーションがあがります。人は誰でも見ていてほしいものですから」

史記・刺客伝にこんな言葉がある。「士は己を知る者のために死す」

現代語訳すると「自分の真価を理解してくれる者のために、その身命を賭して尽くすものである 」

正にマネジメントの本質だと感じた。

【バイセル×関西福祉大学】

監督の話を聞いて、改めて感じた。

「昔のバイセルを見ているようだ。」

成長間もない当時のバイセルもまさに関西福祉大学サッカー部と同じような環境だった。

マイナスに近い環境から、自ら行動を起こし自ら掲げた目標に対して諦めず突き進む姿。その背中をみて育つ後輩達。その姿に魅了されて多くの人々を巻き込み参画させる力。

そのポジティブなサイクルが、今のバイセルを創り成長を支えていることに改めて気づかされたように思う。

最後に監督とこんな話をした。

大学サッカーで例えるなら、私たちもまだ2部Aにいます。来年1部昇格をかけて、全社員必死に頑張っております。

来年の今日、バイセルが次のステージへ飛躍した報告を必ずしにきますので、その時中田監督も1部昇格を必ず成し遂げて下さい。

そう誓い合った。

関西福祉大学サッカー部監督

中田 洋平 さん

プロフィール
元プロサッカー選手2006年 YKK_AP所属。当時は攻撃的なポジションだったが、2008年 カターレ富山では左サイドバックにコンバートされた。2010シーズン終了をもって現役を引退し、2011年からはカターレ富山のフロントスタッフに。引退後もアマチュアクラブである富山新庄クラブに所属し、1年間プレーを続けた。2015年、関西福祉大学にサッカー部が創設されると初代監督に就任、1年次生だけのチームで同年の関西学生サッカーリーグ3部リーグを2位で終え、創部1年で2部リーグへの昇格を決めた。